3.11であるから、いろいろな方々が震災当日の私的な話をされていてそれが面白い。と、言ったら不謹慎だと言われそうだが、記憶を風化させないためにもそういうことは大切だと思うのである。
もちろん、被災者の方の中にはそんな風に語られるだけで怒りと悲しみが湧いてくる方もおられるのであろうが…。
震災の瞬間、私は東京都内の私鉄沿線の建設現場で働いており、踏切の近くで第一波の揺れを体験した。突然の物凄い揺れに驚いた瞬間に、斜めになった電車が目の前で緊急停止した。私は一瞬脱線した電車に轢かれるのではないかと思ったものだ。踏切周辺の家の車がスロープの傾斜に沿って半分ほど道路にはみ出した。近所の奥さんたちは怖くて家にいられないと言って電信柱にしがみついていた。
揺れが収まった後、現場詰所のテレビをつけると福島第一原発の爆発映像が流れていて、日本は壊滅だ、いままでの生活は破壊されたと思ったものである。当時私には一緒に暮らしている女性がいて、すぐに電話をすると、彼女は駅前の広場にいて夕方からの仕事に行きたいのだけれど電車が動いていないと、現実離れしたことを言うので、私は彼女を怒鳴りつけすぐに家に帰り外へ出るなとまくしたてた。
第二波の時には道路にいたので目の前で車が何台もブレーキをかけ、近くにあった高架工事による高さ制限のH綱が、鉄製でありながらまるでゴム製のようにびよんびよんと歪んでいるのに衝撃を受けた。
もちろん現場は通常の仕事はすべてストップしたのだが、不慮のトラブルに備えて皆帰らずに夕方すぎまで留まった。その時私は自転車通勤だったので無事帰ることができたのだが、帰路に沿った道路はもちろん、鉄道のレールの上までぞろぞろと歩く人がたくさんいたのが印象的だった。私の住んでいる安アパートがどのような状態なのかと不安を抱えながら私はペダルを漕いだ。